ずっと違和感があっても言語化できなかったこと。
「AIで⚪︎⚪︎の仕事が置き換わる」系のあれ。
あれって、その職業を語る時の内容が薄すぎる気がする。
その職業はどんな仕事なのか、
どんな場所で作られ、どんな時間を過ごしていたか、
誰のどんな想いが込められているか、
色々なものをすっ飛ばして
最後の果実だけを見て「AIで作れるかどうか」を語るところに
机上の空論っぽさがあって違和感がある。
* * *
料理で例えると、いきなり店に入ってきて
「この美味しい料理はAIで作れますか?」
という問いをしてきて
「答えがYesのものは、仕事がAIに置き換えられます。
いますぐ転職しましょう。」
みたいな雑な話をして店を出ていった人に見える。
* * *
いいたいことはわかる。わかるよ。
わかるけど、料理人の仕事をみていないのにいきなりコレ。
どの部分を置き換えたら良いかを知っているのは現場の人。
AIはまだまだ知らないことも多い。
もちろん、AIに置き換えられる仕事もでてくるのはわかる。
だけど、その置き換えられる・置き換えられないの指標って何だろう。
人間がしていたことは作業だけじゃない。
誰かの想いを受け取って、次に繋いでいたり、
誰かの痛みをとるために
そこに非効率的な優しさと思いやりをそえたりしている。
不器用でも誰かを想ったちょっとした工夫とか改善とか
そんな小さなことが相手に伝わっていくこととか、
実はいっぱいあると思う。
特に日本では思いやりをもったプロダクトが多い。
そこに強みがある。
人件費削減のKPIだけをみていると、
知らない間に、大切な強みを失うことになる。
AIでできることは他社でも誰でもAIでできるので、
そこはもう差別化にはならない。
スピードの差もエージェントとトークンの差で縮まるだろう。
それをすっとばして、ROIだけで語っていると
ちょっとズレたものができそうな気がしている。
だけど結局人間は
安くて早くて脳や身体負荷がないものを選ぶ生き物だとしたら
“それ”が選ばれ続けるのかもしれない。
だからこそ、とことん合理的な選択をする社長もいるし、
それが人気になるのもわかる。
果実とその値段だけが大事なのか、
果実を育てている人、環境、プロセスも大事なのか。
私自身、楽な方に流れ合理的な選択をすることもよくあるけど
目に見えないもの、数字にならなかったものに想いを寄せることや
誰かを大切に思う心、リスペクトする心はもっていたい。
人間にはもっとたくさん、いいところがあると思うよ。